生きている意味はあるのか


なぜ人は生きているのでしょうか。
何か意味があるのでしょうか、意味はないのでしょうか。

本当に「人の人生」には意味があるのでしょうか。

一見したところ、人の人生には意味がないように見えます。
人は生まれたら必ず死ぬからです。
死んでしまったら結局それまでしてきたことは水の泡になってしまうとも考えられます。

極端に考えてみると、人類はいつか必ず滅びます。
いつ滅びるかは時間の問題です。始まりがあれば終わりがあるように、誕生したからには必ず滅びます。
そうなると滅びた時、人類が築いてきたものは水の泡になります。
生命のない滅びた地上に何を残しても無意味です。

結局、人の人生など水の泡のようなものと思えてきます。

生きている意味なんてものはないのかもしれません。

空しいです。何もやる気が起こらなくなってしまいます。


一方、生きる意味があるという人もいますが、その方々は何かしら自分で生きる意味を見出しているケースが多いです。
しかし、それは本当に「人の生きる意味」なのでしょうか。

「生きる意味」なんてものは人其々に自由勝手に決めることなので、本当の「人の生きる意味」とは違うようにも思えます。

自分で決めればいいという人はここで話は終わりですが、私の場合「本当の生きる意味」をどうしても知りたいので、さらに話を進めることにします。

実は「本当の生きる意味」なんて誰にも分からないのかもしれません。

そもそも誰もが納得できるような答えがあるなら、世の中の常識になっているはずです。
しかし、現代でも人は自分の生きる意味が何なのか知りません。
誰もその答えを見つけられないまま人は延々と悩むのかもしれません。


人が悩み続けても解けない謎「人の生きる意味」が不明なのには理由があります。

そもそも「人」とは何なのかが、誰も分からないためです。

人とは動物、哺乳類、肉体、頭脳が最も進化した動物・・・定義しようと思えばいくらでもできますが、そんなことはただの定義に過ぎません。人が勝手に言葉を造って当てはめただけに過ぎません。

「人」とは一体何なのか・・・突き詰めていけばいくほど分からないのではないでしょうか。

「人の生きている意味」を知るにはその大前提である「人」とは何なのかを知る必要があるのです。